大神 飲み比べセット
茶肆ゆにわで扱っている日本茶、
・煎茶 大神(おおみわ)
・煎茶 神足別(かみたりるわけ)
・玉露 少彦名(すくなひこな)
こちらの3種類の飲み比べセットです。
2023年年末にゆにわ塾で参拝させて頂いた
「大神神社参拝セミナー」
のテーマに合わせて、ご用意させて頂いた
日本茶飲み比べセットです。
(1)煎茶 大神
大神神社から車で40分の場所で作られた、
「萎凋(いちょう)煎茶」
という製法で作られたお茶です。
ミネラルが豊富な土壌で作られ、風通しのよい森林の中で
萎凋(茶葉から水分を抜いて乾燥)させており、
お茶本来が持っている味・香りを引き出しております。
飲んだ後の余韻が深い、
非常に繊細なお茶です。
1煎目は1gに対してお湯は15ccくらいが目安。
・お湯の温度 80〜90℃
・抽出時間 40秒
2煎目以降は1煎目の温度と同じか、少し高めにして
お好みで20秒〜で抽出します。
(2)煎茶 神足別
日本で数少ない、黄金色の煎茶の茶葉です。
静岡県の諸子沢で作られ、
1煎目は1gに対して常温の水で15ccくらいが目安。
・お湯の温度 30℃前後
・抽出時間 180秒
2煎目以降は70°C程度の温度で20秒〜で抽出します。
(3)玉露 少彦名
福岡県八女市で作られた、藁掛けの本格的な本玉露です。
旨みの中に奥深い香味があります。
1煎目は1gに対してお湯は15ccくらいが目安。
・お湯の温度 55〜65℃
・抽出時間 40秒
2煎目以降は1煎目の温度と同じか、少し高めにして
お好みで20秒〜で抽出します。
※
それぞれ3種類の日本茶、
それぞれの良さがございますので、ぜひ飲み比べてご堪能ください。
日本茶(煎茶)の歴史
日本のお茶の歴史は大陸との文化交流の歴史でもあります。
■奈良時代 〜団茶(だんちゃ)・餅茶(へいちゃ)〜
最初に日本へ伝わったお茶は、遣唐使が唐から持ち帰ったものでした(諸説あります)。
805年、最澄が唐から持ち帰ったお茶の種子を近江坂本(滋賀県)の日吉神社に植えたという記録があり(『日吉社神道秘密記』)、さらに『日本後記』には、815年に「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」とあります。
お茶といっても、当時のお茶は急須を使って入れるような形ではなく、茶碾(ちゃてん)という道具を使って粉々にしたものを、鍋で煮出していたようです。
この頃のお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族など限られた人々だけが口にできるものでした。その後、遣唐使の廃止とともに、喫茶文化は一時期、停滞します。
■鎌倉時代 〜点茶〜
唐の時代にはお茶は王侯貴族の飲み物でしたが、宋の時代には庶民にも広がっていました。
日本では鎌倉時代に臨済宗の開祖・栄西(えいさい)が、中国・宋から、多くの経典とともに、茶の苗を日本へ持ち帰りました。
鎌倉時代には、奈良時代の餅茶のようにお茶を煮出して飲む方法から転じて、「抹茶法」と呼ばれる飲み方が主流になっていました。
「碾」という薬研や臼を使って茶を細かく砕き、沸騰した湯の中に入れてかき混ぜて飲むのですが、禅僧たちの間で「修行中に襲ってくる睡魔を抑え、精神が集中できる」ということで、禅宗の布教と共に広く普及したと言われています。
栄西は、茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれた「喫茶養生記」を残しました。
室町時代に入り、村田珠光(むらたじゅこう)、武野紹鷗(たけのじょうおう)、千利休(せんのりきゅう)らによって現在まで残る茶道(抹茶)の形に完成されます。
■江戸時代 〜煎茶(淹茶 えんちゃ)
1654年、中国・福建省から渡来した隠元(いんげん)禅師が伝えた淹茶(だしちゃ/えんちゃ)法は、釜炒りした茶葉に熱湯を注いでしばらく待つという方法でした。
手間をかけず、簡単にお茶を飲めるこの方法は急速に広まります。そして、茶の湯と禅宗の堕落に対する批判を背景に、自由な気風で煎茶を飲み清談を交わす「煎茶趣味」が江戸文人の間に流行しました。
その後、煎茶の中興の祖と呼ばれる売茶翁によって、煎茶が江戸庶民の間にも広がっていきました。